(ニュースから)掃海部隊、戦後の機雷除去作業で活躍 朝鮮戦争でも秘密裏に派遣

【国防最前線】掃海部隊、戦後の機雷除去作業で活躍 朝鮮戦争でも秘密裏に派遣 (1/2ページ) – 政治・社会 – ZAKZAK
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 海上自衛隊・掃海部隊のペルシャ湾派遣。これは自衛隊が初めて海外に行くということであり、インパクトは強烈だった。反対はすさまじかったが、「この派遣が日本を救うことになる」という確信を持っていたのは、むしろ米国の識者だったようだ。

 実は、1950年に始まった朝鮮戦争において、秘密裏にであるがわが国から特別掃海隊が派遣されていた。仕事ぶりは極めて高い評価を受け、その記憶は米軍人の記憶に強く刻まれていた。時代は違うものの、再び日本掃海部隊への期待が高まった。

 「彼らなら成果をあげるだろう」

 予想通りペルシャ湾派遣は、資金援助だけで何もしない日本に対する国際社会からの不評を払拭することになった。

 前回連載から、わが国の掃海部隊について書いているのは、昔話をしたいわけではない。まさに今、進められている安全保障法制の議論をどう捉えるべきか。これを考えるために前提として必ず知っておくべき歴史的経緯を振り返っているのである。

 日本の掃海部隊が朝鮮戦争で掃海活動を実施したこと、またそれ以前に彼らが戦後、日本近海に撒かれた機雷の除去作業を続けていたことは長年秘匿されていた。これを担っていたのは制服も階級もついていないが皆、旧海軍出身者であり、戦争が終わったとはいえ命懸けの仕事であることに変わりはなかった。

 ただ一つ大きく違うのは、死んでも戦死者として扱われることはなく、その功績も残らないということであった。

 関門海峡や広島湾を中心に米軍が敷設した機雷は約1万1300個といわれる。それ以外に日本が自国防護のために投入したものも含め、気の遠くなるような数の機雷を無力化し、港を安全な状態にしなければ戦後日本の復興は始まらなかった。

 「あと1年続けば、国民の1割にあたる700万人が餓死しただろう」

 その作戦名は「対日飢餓作戦」。わが国の輸送ルートは完全に途絶され、燃料もなく食料もなく、艦船も動かず飛行機も飛ばなくなった。そして、日本は戦争に負けた。

 その後の広島と長崎への原爆投下が終戦の理由であるように言われることがあるが、実際は機雷戦、すなわち輸送路を閉ざされた時点で日本はすでに敗れていたのである。

 「原爆投下は日本人に海上封鎖の恐ろしさを忘れさせるために必要だった」

 そんな指摘もあるほど、最も大事なことを日本人は忘れてしまった。

(一定期間が過ぎると消えてしまう有用なニュースを掲載しています。)