(ニュースから)安倍晋三が批判する、危険集団「革マル派」の残酷な内ゲバの全貌!!

「一群のウジ虫どもは、線路上に逃げちろうと外堀の土手をころがり落ちたあげく、前後不覚のまま有刺鉄線にとびつき、全身血まみれになって横転する。ある狂信的女ウジ虫の場合には、恐怖のあまりボーゼン自失、路上にへたりこんで天を仰いだまま、大小両形態の排泄物をタレ流す。わが戦士たちは、こうした酸鼻をきわめる潰走分子どもを一キロ近くにわたって、次々と冷たい路上に横たわらせていったのだ」

 これはかつて、革マル派の機関紙『解放』に載った、ある”闘い”の報告である。ここにある「ウジ虫」とは対立する中核派のこと。74年5月13日、中核派のデモを、長さ1.5メートルの4段継ぎ手パイプを手にして、革マル派のメンバーが大挙して襲撃した様子を書いている。中核派のメンバー1名が死亡、34名が負傷した。

 11月1日付けの安倍晋三首相のFacebookを見ると、「Z」のマークの入った白いヘルメットを被ってデモ行進する、革マル派の勇姿を撮った画像がアップされている。もちろん、革マル派を讃えているわけではなく、その逆だ。

 発端は、10月30日の衆院予算委員会。安倍政権は、「政治とカネ」の問題で2人の閣僚が辞任。このことにまるで反撃するように、民主党の枝野幸男幹事長がJR総連(以下、全日本鉄道労働組合総連合会)やその傘下にある東日本旅客鉄道労働組合(以下、JR東労組)から政治献金を受けていたことを、安倍首相が批判したのだ。JR総連などに、革マル派活動家が浸透していることは、平成22年5月と23年9月の計2回、当時の民主党政権が答弁書で認定している。

「殺人までする危険な反社会的な組織活動家と関わりがある団体から資金の供与を受けるのは問題だった」と安倍首相は述べた。

 Facebookでは秘書の言葉で説明があり、「残念なのはこのやり取りを書いた新聞で、革マル派については触れずに記事にした社も複数ある事です」ともある。

■”革マル”とはなんだ?

 革マル派の正式名称は、「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」。「革命的共産主義者同盟全国委員会」である中核派と、1963年に分裂した。70年に、査問、リンチから死者が出たことが発端となり、お互いのメンバーを殺し合う凄惨な内ゲバ戦争が20年以上に渡って続いた。

「いまは奇異に感じられても、ふるえばふるうほど何でもなくなる。バールで相手の頭をかちわり、穴をあけ、殺せるようにならなければならない。そうでなければ、英雄的でない! 頭をかちわることに、いまだ抵抗を感じる人がいるが、そういう人は対カクマル戦争の重要性を感じていない!」

 これは中核派のほうの言葉。73年12月15日、中核派政治集会での北小路敏政治局員の演説である。

 75年3月14日未明、埼玉県川口市内の自宅アパートで、中核派最高指導者の本多延嘉書記長が、パンストで覆面をした革マル派メンバーによって殺された。頭部に骨膜に達するほどの深い傷があった。手斧で、頭をかち割られたのだ。

「わが全学連戦士たちは、反革命の頭目、本多延嘉に対して、階級的怒りの鉄槌を振りおろしました」

 革マル派は拠点である解放社で記者会見し、そう発表した。

 革マル派は、革命的労働者協会(社青同解放派)とも内ゲバを繰り広げている。77年2月11日、笠原正義(組織名:中原一)書記長を、革マル派は殺害した。茨城県の取手駅付近で車に乗っていたところを、車で前後を挟み撃ちにし、鉄パイプで滅多打ちにしたのだ。
 
 革マル派のほうは、トップを討ち取ったから、それで消息に持ち込みたいと考えていた節があるが、指導者を殺されたほうは収まりがつかない。報復が報復を呼び、殺し合いは続いた。

■苛烈を極める”内ゲバ”

 70年代から80年代で、革マル派によって殺害された人数は15名、また中核派によって48名、革命的労働者協会の手で23名ほど革マル派も死者を出している。もちろん負傷者も多く、重大な後遺症を背負うことになった者も少なくない。

 80年代の後半には、過激な左翼運動そのものが衰退し、内ゲバどころではなくなったのだろう。その数はめっきり減った。だが90年代に入っても、3名の死者が出ている。それが他ならぬ、JR東労組の役員らなのだ。それぞれ、中核派と革命的労働者協会が、革マル派への攻撃として声明を出している。ところが逆に、JR総連やJR東労組は、「内ゲバではない」とする声明をわざわざ出している。自分たちは革マル派などではない、内ゲバなどとは無縁の健全な労働組合である、と強調したいのだろう。

 実際にはどうなのだろうか? JR総連の前身は、国鉄分割民営化以前の、国鉄動力車労働組合。略して、動労だった。1985年に動労中央本部委員長に就任した松崎明氏は、革マル派結成時の副議長であり、動労が革マル派の影響下にあったのは衆目の一致するところだ。JR総連になってから、松崎氏は顧問となっていたが、革マル派からは離れたと言っていた(松崎氏は、2010年に死去)。

■縮小しつつある”内ゲバ”と各団体の現状

 最近の内ゲバであるが、革命的労働者協会が2つに分裂し、2004年までに双方に10人の死者が出ているが、それが最後だ。彼らは最近までゲリラ事件などを起こしている。

 中核派は先の参議院議員選挙で山本太郎議員を応援するなど、脱原発運動に入り込むことで、若者を獲得することを目指し、今は暴力的闘争を行っていない。中核派は2007年に分裂したが、それによる内ゲバも発生していない。

 そして革マル派だが、ヘルメットを被った過激派スタイルはとるものの、国家権力に対する暴力的闘争などは、全くといっていいほど行っていない。階級闘争至上主義であり、思想・理論の学習と組織の構築を目指すというのが建前だが、彼らのお家芸は敵前逃亡なのだ。

 60年代後半の学生叛乱の、ひとつの頂点が東大闘争だった。69年1月、東大本郷キャンパスはバリケード封鎖され、機動隊の導入に備え、全共闘が安田講堂を、中核派は法研、革マル派は法文2号館などと、各セクトで分担して配置についていた。だが、1月18日、機動隊がキャンパスに入っていくと、他の建物からは投石や火焔瓶の投擲があったが、法文2号館に入って行くと、もぬけの殻だった。革マル派は、前夜のうちに出て行ってしまったのだ。

 労働運動でも同様だ。国鉄分割民営化反対を叫んでいた動労は、JR発足の前年になって賛成に転じ、会社と一体となって分割民営化を押し進めた。

 そして今、どうなっているか。革マル派の構成員は、約5300人。暴力革命を掲げる新左翼の中では、最大勢力だ。逮捕者が出るような闘争を行わず、組織の伸張にだけ力を注いできたからとも言える。

 警察が今、最も恐れているのは革マル派だ。それは勢力の大きさのためだけではない。革マル派は、警察のデジタル無線を傍受する技術を持っていたのだ。これには無線マニアたちも驚愕し、月刊『ラジオライフ』(三才ブックス)が、革マル派からの寄稿を載せた。

 しかし、警察のデジタル無線は定期的に変更されるパスワードを知らなければならず、技術力だけでは傍受できない、と言われている。革マル派はパスワードを知ることができる、すなわち警察内部に革マル派メンバーがいるのではないか、と恐れられているのだ。

 そして、JR東日本ではJR東労組の組合員は85%を占め、会社の人事にまで影響を及ぼすほどの力を持っている。

 そのような状況化で、内ゲバ殺人はなくなった。しかし、停止宣言がされたわけでもなく、過去の内ゲバ殺人への反省が語られたこともない。状況が変わったから、なんとなくなかったことにされたのだ。大規模な反戦集会、脱原発集会などでは、両派のメンバーが言い争いさえすることなく、並んでビラを撒いている姿が見られる。

 内ゲバで殺された人々は、いったいなんのために命を落としたのか? なんとも、むなしい気持ちにとらわれる。

安倍晋三が批判する、危険集団「革マル派」の残酷な内ゲバの全貌!! – Infoseek ニュース
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