(ニュースから)セクハラやじに違和感 少子化問題がいつの間にか女性の人権問題に

 東京都議会でのセクハラやじ問題について違和感が拭えない。自分がやじを放ったと認めて謝罪し、会派離脱をした都議以外の発言者を特定せず、幕引きをしようとしていることへの違和感ではない。問題の仕立て上げられ方についてだ。

 問題のやじは、独身の女性都議が晩産化対策や出産支援について質問をしている最中に行われた。

 「早く結婚した方がいい」「まず自分で産めよ」などのやじは、確かに品性に欠ける。さまざまな事情で結婚、妊娠、出産できない女性もいる。やじはそのような女性への配慮にも欠けている。

 ただ、テーマがテーマだけに、やじを放った議員らの真意は「一般論も結構だが、まず自分が当事者として結婚し、出産してほしい」ということだったのではないか。

 少子化は深刻度を増している。「2040年には全国の半数の自治体が消滅する」との試算もある。昨年の出生数も過去最少を更新した。少子化を抑制するには女性が出産してもらわなければならない。国や自治体の支援も重要だが、まずは女性たちが結婚し、妊娠・出産してくれなければ話にならない。

 そういう中で、女性都議にも当事者意識を持ってくれというのがやじの真意ではなかったのか。問題は、やじを放った都議らが女性都議の抱える事情を知らなかったことと、正面からの発言ではなく、やじという手法を使ったことだろう。

 しかし、いつの間にか、「セクハラやじ」と呼ばれ、「女性の人権」の問題に仕立て上げられてしまった。背後にフェミニズムの勢力が見え隠れする。さらに外国メディアが報道し、女性都議も外国特派員協会で記者会見して、話はいっそう大きくなった。

 ここからは「日本は女性の人権を軽視する野蛮な国」とのレッテルが貼られ、「日本叩き」の道具にされ始めた。

 この構図は、昨年6月の橋下徹大阪市長の慰安婦発言と似ている。強制連行に疑問を差し挟んだ発言が、他の発言と相まって売春を容認したとされ、「女性の人権」を踏みにじる許されざる発言とされて、外国メディアにも広く報道される事態となった。

 しかし、こうなれば、日本のメディアはお手上げだ。やじ問題も橋下発言もそうだが、日本のメディアはそろってきれいごとしかいわなくなっている。口をそろえてやじを発した都議を批判するだけだ。「ポリティカル・コレクトネス」と化し、異論が唱えられない窮屈な言語空間が作られている。

 私と同様、違和感を覚える人は多いが、それを口にできない空気が作られている。日本のメディアは自分の首を絞めてはいないか。

【突破する日本】セクハラやじに違和感 少子化問題がいつの間にか女性の人権問題に (1/2ページ) – 政治・社会 – ZAKZAK
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