(ニュースから)そこまでして大臣になりたかった? 河野太郎氏、ブログ削除で「脱原発」持論「封印」

そこまでして大臣になりたかった? 河野太郎氏、ブログ削除で「脱原発」持論「封印」 (J-CASTニュース) – Yahoo!ニュース
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 第3次安倍改造内閣発足後の記者会見で、安倍晋三首相は行革担当相として初入閣させた河野太郎衆院議員について「大勢に迎合することなく、常に改革を強く訴えてきた情熱の持ち主」と高く評価した。

 河野氏は自民党有数の脱原発派として知られ、「核のゴミ」問題が解決しないままでの原発再稼働を「無責任」だと主張してきた。だが、2015年10月7日に入閣が決まると主張をつづったブログの記事は削除された。記者会見では「(安倍首相と)ベクトルとしては同じ方向を向いている」と釈明し、「決まったことについては、それを誠実に実行する」とも述べた。すっかり牙を抜かれてしまい、大臣なりたさに「迎合」したといわれそうだ。

■2014年7月には「やみくもに再稼働しようというのは無責任」と書いていた

 脱原発派の河野氏は、九州電力川内原発1号機の再稼働についても批判的だった。14年7月のブログでは、

  「再稼働する前に、使用済み核燃料とどう向き合うか、国民を巻き込んでしっかり議論するべき」

だとして

  「核のゴミには目をつぶり、やみくもに再稼働しようというのは無責任です」

と主張していた。だが、実際には放射性廃棄物に関する議論は深まらないまま、川内原発1号機は15年8月に再稼働。9月には営業運転に移行した。

 こういった主張が書かれた河野氏のブログは入閣が決まった10月7日には「メンテナンス中」になり、過去の書き込みは削除されてしまった。

 もちろん、こういった過去の発言との整合性については記者会見でも問われることになる。河野氏は、安倍首相が2012年自民党総裁選で、

  「長期的には原子力への依存度を下げる」

と打ち出していたことを理由に、

  「ベクトルとしては同じ方向を向いていると思っている」

と苦しい釈明をした。

  「今までは外から言っているだけだったが、今度は政府内の議論に参加できるようになった。政府内の議論で、しっかり言うべきところは言っていくと思っているが、政府の一員である以上、決まったことについては、それを誠実に実行するということだと思う」

などと説明した。記者はブログの記事が見られなくなった理由も質問していたが、河野氏は直接答えなかった。

河野談話には「個人としての見解を申し上げるのは適当ではない」

 1993年の「河野談話」への反応も変化した。2013年には、

  「あ、従軍慰安婦問題の嘘を広めた野郎だ!」

というツイッターの書き込みに、

  「俺がなにかしたか?」

と怒りの返信をしていた。今回の会見では、産経新聞の記者が、

  「お父様の河野洋平さんが官房長官時代に発表された、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話について、大臣はどうお考えか」

と質問したのに対して、河野氏は、

  「個人としての見解を申し上げるのは適当ではないと思う。政府として村山談話、河野談話を継承するということを総理が申されている(編注:「申している」または「仰っている」の言い間違いだとみられる)わけだから、その通りで、付け加えることも引くこともない」

と安全運転に努めていた。

 安倍首相は河野氏について

  「閣内でも改革断行の総元締として、これまでの経験をいかしてあらゆる改革を一気に加速してもらいたい」

とも期待を寄せる。河野氏は過去の発言を事実上「封印」した形だが、それでも「改革断行」できるかが問われることになりそうだ。

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