(ニュースから)英雄像が伝える日本とインドネシアの絆 「日本は侵略をしていない」 石井孝明氏

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 東京・市ケ谷の防衛省構内に、インドネシア独立戦争の英雄で、初代軍司令官であるスディルマン将軍(1916~50)の像が設置されている。同国の独立記念日である17日、日本人有志によって献花式が行われ、ユスロン・イザ・マヘンドラ駐日インドネシア大使らも出席した。ジャーナリストの石井孝明氏が、両国をつなぐ絆についてリポートした。

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 「みなさんが、わが国の英雄を称えていただいたことは、本当にうれしい。両国には深い絆があります」。ユスロン大使は、流暢(りゅうちょう)な日本語でこうあいさつした。同大使は、筑波大学に留学し、国際政治経済学の博士号を習得した経歴を持つ。

 インドネシアは、350年にわたってオランダの圧政を受けていた。日本軍が1942年に侵攻してオランダ軍を追い出し、日本が敗戦した2日後の45年8月17日、独立を宣言した。スカルノ初代大統領は独立宣言文に「170805」と日付を入れた。「05」とは、戦前の日本で使用していた皇紀2605年の意味だ。スカルノ氏らは、独立を支援してくれた日本を評価していたのだ。

 ところが、オランダ軍が再び植民地にしようと戻ってきた。

 これに立ち向かったのが、日本軍政下で結成された郷土防衛義勇軍で、スディルマン将軍はリーダーとして4年にも及んだ独立戦争を戦った。そして、何と2000人以上もの元日本将兵が現地に残り、「インドネシアの独立のために」と戦い、約1000人が尊い命を捧げた。残念ながら、こうした事実は、日本ではあまり知られていない。

 スディルマン将軍は、オランダが49年12月にインドネシア独立を認めたのを見届け、翌年1月、34歳の若さで結核で亡くなった。同将軍の像は2011年1月、インドネシア国防省から日本に贈呈された。

 今回の献花式の実行委員長である国際政治学者の藤井厳喜氏は、日本が大東亜戦争で「民族解放の理念」を掲げたことを強調し、「インドネシアが主導し、民族自決を訴え、欧米列強の植民地支配からの独立を宣言した55年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)と理念がつながる」とあいさつした。

 同会議の60周年式典は今年4月にインドネシアで行われ、安倍晋三首相も出席し、「平和と繁栄を目指す諸国の先頭に立ちたい」と演説した。

 献花式の呼びかけ人である評論家の加瀬英明氏は「この場所の意味を考えてほしい」と語りかけた。防衛省のある市ケ谷台は、戦時中には参謀本部と陸軍省があり、戦後は「日本がアジアを侵略した」と断罪した東京裁判が行われた。

 加瀬氏は「アジア諸国と日本の関係、特にインドネシアとの関係は決して侵略ではなかった。両国の絆を確認し、歴史の正確な事実を示すことは、東京裁判の欺瞞(ぎまん)を示す意味がある」と続けた。

 独立への貢献と戦後の経済協力から、インドネシアには親日的な人々が大半だ。「日本は悪い」と決めつけるメディアや有識者の偏見もあり、両国の絆は戦後70年にわたって黙殺されてきた。市ケ谷台に立つスディルマン将軍の像は、日本が戦った戦争の知られざる真実を伝えている。

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